読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567591
1
藤のうら葉
2
御いそぎのほどにも宰相の中将は。ながめがち
にてほれ/\しき心ちするを。かつはあやしく
わが心ながらしうね(執念)きぞかし。あながちにかう
思ことならば。せきもりのうちもねぬべきけし
きに思ひよはりたなるを。きゝながらおなじ
くは。人わろからぬさまにみはてんとねんするも
くるしくおもひいみだれ給ふ。女君もおとゞのかす
め給し事のすぢを。もしさもあらば何のな
ごりかはとなげかしうて。あやしくそむき/\
にさすがなる御もろごひなり。おとゞもさこそ
心つよかり給しかど。たけからぬにおぼしわづ
3
らひてかの宮にもさやうに思たえはて給はば。
又とかくあらため思ひかくづらはん程人のため
もくるしう。わが御かたざまにも人わらはれに
をのづからかろ/\゛しきことやまじらん。忍ぶと
すれどうち/\のことあやまりもよにもりに
たるべし。とかくまぎらはしてなをまけぬべき
なめりとおぼし成ぬ。うへはつれなくてからみ
とけぬ御中なれば。ゆくりもなくいひよらむも
いかゞとおぼしはゞかりて。こと/\しくもてな
さんも人のおもはむ所をこなり。いかなるついでし
てかはほのめかすべきなどおぼすに。やよひ廿日大
殿大宮の御忌日にて極楽寺にまうで給へり。
君だち皆ひきつれいきほひあらまほしく。かん
だちめなどもあまたまいりつどひ溜まっへるに。宰
相中将おさ/\けはひおとらずよそほしくて。
かたちなどたゞいま。いみじきさかりにめびゆき
て。とりあつめめでたき人の御ありさまなり。こ
のおとゞをはつかしと思ひ聞え給ひしより。
見えたてまつるも心づかひせられて。いといたう
よういしもてしづめてものしT舞を。おとゞもつね
よりはめとゞめ給。みず経など六条院よりも
せさせたまへり。さい相のきみはましてよろづを
4
とりもちてあはれにいとなみつかうまつえい給ふ。
夕かけて皆かへり給ほど花はみなちりみだれ。
霞たど/\しきにおとゞむかしおぼしいでゝ
なまめかしくうそふきながめ給ふ。宰相も哀
なる夕のけしきに。いとゝうちしめりてあまげ(雨気)
ありと。人々のさはぐに。ながめいりてい給へり。
心ときめきに見給ことやありけん。袖をひきよ
せて。などか。いとこよなうはかう(勘)じゝ給へる。けふの
みのりの。えをもたづねおぼさば。つみゆるし給て
よや。のこりずくなくなり。ゆくせの世に思ひ
すて給へるも恨聞ゆべくなどの給へば。うちかし
こまりてすぎにし御おもむけもたのみ聞え
さすべきさまにうけ給はりをくこと侍しかど。
ゆるしなき御けしきにはゞかりつゝなどき
こえ給。心あはたゝしきあま風にみなちり/\゛
にきほひかへり給ぬ。君いかに思ひて。れいならず
けしきばみ給ひつらんなど。よとゝもに心をかけ
たる御あたりなれば。はかなき事なれどみゝ
どまりてとやかうやと思ひあかし給。こゝらの
としごろの思ひのしるしにや。かのおとゞもなご
りなくおぼしよはりて。はかなきついでの
わざとはなく。さすがにつき/\゛しからんをお
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ぼすに四月(うづき)ついたち頃のおまへの藤の花いとお
もしろうさきみだれてよのつねのいろならず。
たゞにみすぐさん事おしきさかりなるに。あそ
びなどし給てくれゆくほどのいとゞ色まされる
に。頭中将して御せうそこあり一日の花のか
げのたいめんのあかずおぼえ侍しを。いとまあ
らば立より給なんやとあり御ふみには
(内大臣)わが宿の藤のいろこきたそかれにたづねやは
こん春のなごりをげにいとおもしろきえだに
つけ給へり。侍ちつけ給へるも心ときめきせられて
かしこまりきこえ給ふ
(夕霧)なか/\におりやまどはんふぢのはなたそ
かれ時のたど/\しくはと聞えて口おしくこ
そをくしにけね。とりなをし給へよときこえ給ふ
御ともにこそとの給へば。わづらはしきずいじん
は。いなとてかへしつ。おとゞのおまへにかくなん
とて御覧ぜさせ給ふ。思やうありて物し給
へるにやあらん。さもすゝみ物し給はゞこそは。
すぎにしかたのけうなかりしうらみもとけめ
との給ふ。御心おごりこよなうねたげなり。さし
も侍らじ。たいのまへの藤。つねよりもおもしろく
さきて侍なるを。しづあなるころほひなれば。あ
6
そびせんなどにや侍らんと申給。わざとつかひ
さゝれたりけるを。はやうものし給へとゆるし
給。いかならんとしたにはくるしうたゞならず。な
をしこそあまりこくて。かろ(軽)びためれ。非参議の
ほど。なにとなきわか人こそ。ふたあひ(二藍)はよけれ。ひ
ききつくろはれんやとて。わが御れうの心ことなるに。
えならぬ御ぞども。ぐして御ともにもたせてた
てまつれ給ふ。わが御かたにて心づかひいみじう
けさう(化粧)して。たそかれもすぎ。心やましきほどに
まうで給へり。あるしの君だち。中将をはじめ
て七八人うちつれてむかへいれ奉る。いづれとなく
おかしきかたち(容貌)どもなれど。なを人にすぐれて
あざやかにきよらなるものから。なつかしうよし
づきはづかしげなり。おとゝおましひきつくろ
はせなどし給ふ。御よういをろかならず。御かう
ふりなどし給ていで給ふとて。北形わかき女房
などに。のぞきてみ給へ。いとかうさく(警策)にねびまさ
る人なり。よういなどしづかにもの/\しや。あ
ざやかにぬけいで(抜出)をよすけ(老成・成長およすぐ)たるかたは。父おとゞ
にもまさりざまにこそあめれ。かれはたゞいと
せちになまめかしう。あいぎやうづきてみる
に。え(笑)ましく世中わするゝ心ちぞし給。たほ
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やけざまは。すこしたはれてあされたるかたな
りし。ことはりぞかし。これはざみ(才)のきはもまさ
り。心もちいおゝしくすくよかにたらひたり
とよにおぼえためんりなどの給ひて。引つくろひ
てぞたいめし給ふ。物まめやかにむべ/\しき御
物かたりはすこしばかりにて。花のけう(興)どもにう
つり給ぬ。春の花いづれとなく皆ひらけいづる
色ことにめおどろかぬはなきを心みじかくうち
すてゝちるぬるがうらめしうおぼゆるころほひ。
この花のひとりたちをくれて。夏にさきかゝる
ほどなんあやしく心にくゝあはれにおぼえ侍る。
いろもはたなつかしきゆかりに。しつべしとて。
うちほゝえみ給へるけしきありて。にほひきよ
げ也。月はさし出ぬれど。花のいろさだかにもみえ
ぬ程なるを。もてあそぶに心をよせておほみき(大酒)
まいり御あそひなどし給ふ。おとゞほどなく
そらえひをし給て。みだりがはしくしいえ(強い酔)(夕霧に)は
し給を。さる心していたう。すまひなやめり。き
みはすえの世には。あまるまであめのしたの。いう
そくにものし給めるを。よはひふりぬる人思ひ
すて給ふなんつらかりける。文籍(もんじゃく)にも家礼(けらい)とい
ふ事あるべくや。なにがしのをしへもよくおぼし
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しるらんと思給ふるを。いやう心なやまし給と
うらみ聞ゆべくなむなどの給ひて。えいなき(酔泣き)にや
おかしき程にけしきばみ給。いかでむかしをお
もふ給へいづる御かはりともには身をすつるさま
にもとこそ思給へしり侍るを。いかに御覧しな
すことにか侍らん。もとよりをろかなる心のおこ
たりにこそとかしこまりきこえ給。御とき
よくさうどきてふぢのうらは(藤の裏葉)とうちずむ(誦)し
給へる御けしきを給はりて。頭中将花の色こく
ことにふさながきをおりて。まらうと(客人)の御さか
づきにくはふ。とりてもてなやむに。おとゞ
(内大臣)むらさきにかごとはかけんふぢの花まつよ
りすぎてうれたけれとも。宰相さかづきをもち
ながら。けしきばかり。はいしたてまつり給ふ
さまいとよしあり
(夕霧)いくかへり露けき春をすぐしきて花の
ひもとくおりにあふらん。とうの中将に給へば
(柏木)たをやめの袖にまがへる藤の花みる人からや
いろもまさらんつぎ/\ずむ(順)ながれおほかめれど
えひのまぎれにはか/\゛しからで是よりまさ
らず。七日の夕日夜の影ほのかなるに池のかゞみ
のどかにすみわたれり。げにまだほのかなるこ
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ずえともさう/\しき頃なるに。いといたう気色
ばみよこたはれる松のこだか(木高)きほどにはあらぬ
に。かゝれる花の様よのつねならずおもしろしれい
の辯少将こえいとなつかしうて。あしがき(葦垣)をう
たふ。おとゞいとけやうけうもつかうまつるかなど
うちみだれ給ひて。としへにけるこの家のとうち
くはへ給へる御声いとおもしろくおかしき程に。
みだりがはしき御あそびにて物思ひのこらず
なりぬめり。やう/\夜ふけ行ほどに。いたく空
なやみをしてみだり心ちいとたへがたくて。まか
てん空もほと/\しくこそ侍ぬべけれ。とのい
所ゆづり給てんやと中将にうれへ給ふ。おとゞ。
朝臣や御やすみどころもとめよ。おきな(翁)いたう
えひすゝみてむらい(無礼)なればまかりいりぬといひ
すてゝいり給ぬ。中将はなのかげのたびねよ。い
かにぞや。くるしきしるべにぞ侍るやといへば。まつ
にちぎれるはあだなるはなかはゆゝしやとせ
め給。中将はこころのうちにねたのわざやと思ふ所
あれど。人ざまの思ふさまにめでたきに。かうも
あらなんと心よせわたることなれば。うしろや
すくみちびきつ。おとこ君は夢かとおほえ給
にも。わがみいとゞいつかしうぞおぼえ給はむ
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かし。女はいとはづかしと思ひしみて。物し給も
ねびまされる御ありさまいとゞあかぬ所なく
めやすしよのためしにもなりぬべかりつる身
を心もてこそかくまでもおぼしゆるさるめれ
あはれをしり給はぬもさまことなるわざかな
とうらみきこえ給。少将のすゝみいだしつる
あしがき(葦垣)のをもむきはみゝとゝめ給ひつや。いた
きぬし(主)かなゝ。川ぐちのとこそさしいらへまほし
かりつれとの給へば。女いときゝくるしとおぼして
(雲居の雁)あさき名をいひながしける川ぐちはいかゞ
もらしゝせきのあらかきあさましとの給ふ
さま。いとこめきたり。すこしうちわらひて
(夕霧)もりにけるくきだのせきをかはぐちのあ
さきにのみはおほせざらなん年月のつもりも
いとわりなくてなやましきに物おぼえずと
えひ(酔)にかこちてくるしげにもてなして。あくる
もしらずがほなり。人々聞えわづらふをおとゞ
したりがほなるあさいかなゝどとがめ給。されど
あかしいてゞぞいで給。ねくたれの御あさがほ
みるかひありかし。御文はなをしのび(忍)たりつる
さまの心づかひにて有るを。中々けふはえ聞え
給はぬを。物いひさがなきごだち(御達)つきじろふに
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おとゞわたりてみ給ぞいとわりなきや。つき
せざりつる御けしきいとゞ思ひしらるゝ身の
程哉。たへぬ心に又きえぬべきも
(夕霧)とがむなよしのびにしほるてもたゆみけふ
あらはるゝ袖のしづくをなどいとなれがほなり。
うちえみて手をいみじくもかきなられにける
かなとの給ふも昔の名残なし。御返いでき
がたければ。見ぐるしやとて。さもおぼしはゞかり
ぬべきことなればわたり給ぬ。御つかひのろく
なべてならぬさまにて給へり。中将おかしきさま
にもてなし給ふ。つねにひきかくしつゝ。かくろへ
ありきし御つかひ。けふはおももちなどひと/\
しくふるまふめり。右近のぞうなるひとむつまし
くおぼしつかひ給なりけり。六条のおとゞもかく
ときこしめしてげり。宰相つねよりもひかり
そひてまいり給へれば。うちまもり給ふて。けさは
いかにふみなど。ものしつや。さかしき人も女のす
ぢにはみだるゝためしあるを。人わろうかゝづらひ
心いらせで。すぐされたるなむすこし人にぬ
けたりける御心とおぼえける。おとゞのみをきて
のあまりすくみてなごりなくくづをれ給ぬ
るを。よの人もいひいづる事あらんや。さりとても
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わがかた(方)たけうおもひがほに。こゝろおごりして
すき/\゛しき心ばへなどもらし給な。さこそ
おひらかにおほきなる心をきてと見ゆれどし
たの心ばへおほしからずくせありて。人みえにく
き所つき給へる人なりなどれいのをしへ聞え給。
ことうちあひめやすき御あはひとおぼさる。御子
どもみえず。すこしがこのかみばかりとみえ給。
ほか/\にてはおなじかほをうつしとりたると
みゆるを。おまへにてはさま/\゛あなめでたと見え
給へり。おとゞはうすき御なをししろき御ぞの
からめきたるが。もんけざやかにつや/\とすき
たるをたてまつりて。なをつきせずあてになま
めかしうおはします。宰相どのはすこし色ふか
き御なをしに。丁子ぞめのこ(焦)がるゝまでしめる。し
ろきあやのなつかしきをき給へり。ことさらめ
きていんにみゆ。くはん仏(灌仏)い(率)てたてまつりて。
御導師をそくまいりければ。日暮て御かた/\
よりわらはべいだしふせ(布施)などおほやけざまに
かはらず。心/\゛にし給へり。おまへのさほうをうつ
して君だちなどもまいりつどひて。中々うる
はしき。御前よりもあやしう心づかひせられて。
をくしがちなり。さい相はしづ心なくいよ/\け
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さうじひきつくろひて出給を。わざとならねど
なさけだち給ふわか人はうらめしと思ふも
ありけり。とし頃のつもりとりそへて。思たうな
る御なか(仲)らひなめれば。水ももらんやは。あるし
のおとゞもいとゝしきちか(近)まさりをうつくしき
物におぼして。いみじうもてかしづき聞え給。
まけぬるかたの口おしさはなをおぼせど。つ
みのころましうそまめやかなる御心ざまな
どの年ごろこと(異)心なくて過し給へるなどを。
有かたうおぼしゆるす。女御の御ありさまなど
よりもはなやかにめでたくあらまほしけれど
北方さふらふ人々などは心よからず思ひいふも
あれど。なにのくるしき事かあらん。あぜちの北
方なども。かゝるかたにてうれしと思ひきこえ給
けり。かくて六条院の御いそぎは廿日あまりの程
なりけり。たいのうへみあれにまうで給とて。れ
いの御方々いざなひ聞え給へど。中々さしも
ひきつゞきて心やましきをおぼして。たれも/\
とまり給てこと/\しきほどにもあらず。御車
廿(はたち)ばかりして。こぜんなどもくだ/\しさ人
かずおほくもあらず。事そぎたるしもけはひ
ことなり。まつりの日の暁にまうで給て。かへさ
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には物御覧ずべき御さじきにおはします。
御かた/\の女房をの/\車ひきつゞきて。御
前所しめたるほどいかめしう、かれがそれと。とを
目よりおどろ/\しき御いきほひ也。おとゞは中
宮の御母宮す所の車をしさ(避)けられ給へりし
折の事おぼし出て。時による心おごりしてさやう
なることなん。なさけなき事なりける。こよな
く思け(消)ちたりし人もなけきお(負)ふやうにてな
くなりにきと。そのほどはの給ひけちてのこ
りとまれる人の中将はかくたゞ人にてわづかに
なりのぼるめり。宮はならびなきすぢにておは
するも思へばいとこそ哀なれ。すべていとさだめな
き世なれば。なに事も思まゝにていけるかきり
の世をすくさまほしけれとのこり給はん。すえ
の世なとのたとへなきおとろへなとをさへお
もひはゝかられはと打かたらひ給て。かむだち
めなども御さじきに参りつどひ給へれば。そ
なたに出給ぬ。近衛づかさ(司)の使は頭中将也けり。
かの大殿にていで立所よりぞ人々はまいり
給ふける。藤内侍のすけも使なりけり。おぼえ
ことにてうち春宮よりはじめたてまつりて。
六条院などよりも御とふらひども。ところをき
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まで御心よせいとめでたし。宰相中将いでたち
の所にさへ。とふらひ給へり。うちとけずあはれを
かはし給御なかなれば。かくやんふぉとなきかた
にさだまり給ぬるを。たゞならずうち思ひけり
(夕霧)なにとかやいえふのかざしよかつみつゝおぼめく
までもなりにけるかなあさましとあるを藤
中将(内侍)おりすぐし給はぬばかりを。いかゞ思ひけん。
いとものさはがしく車にのるほどなれど
(藤内侍)かざしてもかつたどらるゝ草のなはかつらを
おりし人やしるらんはかせ(博士)ならてはと聞えた
り。はかなきことなれどねたきいらへとおほす。
なを此内侍にぞ思はなれずはひまぎれ給
べき。かくて御まいりは北の方そひ給べきを。つ
ねになが/\しくはえそひさふらひ給はじ。
かゝるついでにかの御うしろみやそへましとおぼす。
うへも。ついにあるべきことのかくへだゝりてすぐし
給を。かの人も物しと思ひ泣けかる蘭。この御
心にも今はやう/\おぼつかなくあはれにおぼし
しるらん。かた/\こゝろをかれ奉らんもあいなし
とおもひなり給て。このおりにそへ奉り給へ。
まだいとあえかなるほどもうしろめたきに。
さふらふ人とてもわか/\しきのみこそおほ
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かれ。御めのと達なども。見をよぶことの心。いた
るかぎりあるを。身づからはえつとしもさふ
らはざらん程。うしろやすかるべうと聞え給へば
いとよくおぼしよるかなとおぼして。さなんと
あなたにもかたらひの給ひければ。いみじく
うれしく思ふ事。かなひ侍る心ちして人の
さうぞくなにはのことも。やんごとなき御あり
さまにおとるまじくいそぎたつ。あま君なん
猶この御おひさきみ奉らんの心ふかゝりける。今
一たびみたてまつるよもやといのちをさへ。しう
ねくなしてねんじけるを。いかにしてかはと
思ふもかなし。其夜はうへそひて参り給ふに。御
て車にもたちくだり。うちあゆみなど人わるか
るべきを。わがためと思ひはゞからず。たゞかくみ
かきたてたてまつり給ふ玉のきずにて。わがか
くながらふるをかつはいみじう心ぐるしう思ふ
御参りのぎしき人のめおどろくばかりの事は
せじとおぼしつゝめど。をのづからよのつねのさま
にぞあらぬや。かざりもなくかしづきすへたて
まつり給て。うへはまことにうつくしうあはれに
思ひ聞え給につけても。人にゆづるまじうまこ
とにかゝる事もあらましかばとおぼす。おとゞも
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さい相の君も。たゞこの事ひとつなんあかぬ事
かなとおぼしける。三日すこしてぞ。うへはまかでさ
せ給ふ。たちかはりてまいり給夜。御たいめん
あり。かくおとなび給ふけぢめになん。年月の
ほどもしられ侍れば。うと/\しきへだてのこる
まじうやとなつかしうの給ひて物語などし
給ふ。これもうちとけぬるはじめなめり。物など
うちいひたるけはひなどむべこそはとめさまし
うみ給ふ。又いとけたかうさかりあんる御けしき
を。かた見にめでたしとみて。そこらの御なかにも
すぐれたる御心ざしにて。ならびなきさまに
さだまり給けりをも。いとことはりお思しら
るゝに。かうまでたちならび聞ゆる契。をろか
なりやはと思もものから。いで給ぎしきのいと
ことによそほしく。御てぐるまなどゆるされ給
ひて。女御の御ありさまにことならぬを。思くらぶ
るに。さすがなるみのほどなり。いとうつくしげに
ひいなのやうなる御ありさま。ゆめのこゝちし
てみたてまつるにも。なみだのみとゞまらぬは。ひ
とつ物とぞみえざりける。としごろよろづにな
げきしづみさま/\゛うきみとおもひ。くしつる
いのちも。のべまほしうはれ/\゛しきにつけて
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も。まことに住吉の神もをつかならず思ひし
らる。思ふさまにかしづき聞えて。心をよはぬ
事はたおさ/\なき人の。らう/\しさなれば
おほかたのよせおぼえよりはじめ。なべてならぬ
御さまかたちなるに。宮もわかき御心ちにいと
心ことに思ひ聞え給へり。いどみ給へる御かた/\゛
の人などは。このはゝぎみのかくてさふらひ給を。
きずにいひなしなどすれど。それにけがるべくも
あらず。いかめしうならびなき事をはさらにも
いはず。心にくゝよしある御けはひをはかな
き事につけても。あらまほしくもてなし聞え
給えれば。殿上人などもめつらしきいどみ所にて。
とり/\にさふらふ人々も心をかけたる女房
のよういありさまさへいみじくとゝのへなした
まへり。うへもさるべきおりふしにはまいり給ふ。
御なからひあらまほしくうちとけゆくに。さ
りとてさしすぎ物なれず。あなづらはしかるべ
きもてなし。はた。露もなく。あやしうあらま
ほしき人の有さま心ばへなり。おとゞもながゝ
あらずのみおぼさるゝ御世のこなたにとおぼし
つる御参り。かひあるさまにみたてまつりなし
給て。心からなれど世にうきたるやうにて見ぐ
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るしかりつる宰相の君も。思ひなくめやすき
さまにしづまり給ぬれば。御心おちいはて
給て今はほいもとげなむとおぼしなる。たいの
はしませばをろかならぬ御心よせなり。此御かた
にもよにしられたる親ざまにはまづ思ひき
こえ給べければ。さりともとおぼしゆづりけり。夏
の御かたの時々にはなやぎ給まじきも。宰
相のものし給へればとみなとり/\゛にうしろ
めたからずおぼしなり行く。あけんとしよそぢ
になり給ふ御賀のことおほやけよりはじめ
奉りて。おほきなるよのいそぎなり。その秋太
上天皇にkなずらふ御位えたまふて。みふ(御封)くは(加)ゝ
り。つかさかうふり(年官年爵)などみなそひ給ふ。かゝらでも
よの御こゝろにかなはぬことなけれど。なをめづら
しかりけるむかしのれいをあらためて。院し(院司)ども
などなり。さまことにいつくしさそひたまへば。
うちにまいり給べきことかたかるべきをぞ。かつは
おぼしける。かくても猶あかずみかどはおぼしめし
て。世の中をはゞかりてくらいをえゆづり聞え
ぬことをなんあさゆふの御なげきぐさなりける。
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なり給ぬ。御よろこびに出給ふひかりいとゞまさ
り給。さまかたちよりはじめてあかぬ事もな
きを。あるじのおとゞもなか/\にをされ。す
さまじき宮づかへよりはとおぼしなる。女君の
たいふのめのと(大輔の乳母)。六位すくせとつぶやきしよひの
こと。ものゝおり/\におぼしいでければ。きくのい
とおもしろくうつろひたるをたまはせて
(夕霧)あさみどりわかばの菊を露にてもこきむ
らさきの色とかけきやからかりしおりのひ
とことはこそわすられねといと匂ひやかにほゝ
えみ給へり。はづかしういとおしき物から。うつ
くしうみ奉る
(大輔の乳母)ふたばより名たゝるそのきくなればあ
さきいろわく露もなりきいかに心をかせ給へ
りかるにかといとなれてくるしがる。御いきほ
ひまさりてかゝる御すまいも所せければ。三
条どのにわたり給ぬ。すこしあれにたるを
いとめでたくすり(修理)しなして。宮のおはしゝ
かたをあらためしつらひて。すみ給。むかしお
ぼえてあはれに思ふさまなる御すまいなり。
前栽どもなどちいさき木どもなりしも。い
としげきかげとなり。ひとむらずゝき(一村薄)も心に
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まかせてみだれたりける。つくろはせ給。やり
水のみくさもかきあらためて。いと心ゆきたる
けしきなり。おかしき夕暮のほどをふた所
ながめ給ふて。あさましかりし世の御おさな
さの。物がたりなどし給ふに。こひしき事も
おほく。人のおもひけんこともはづかしく女君は
おぼしいづ。ふる(古)人どものまかでちらず。さうじ(曹司)/\
にさふらひけるなど。まうのぼりあつまりて。
いとうれしと思ひあへり。おとこ君
(夕霧)なれこどは岩も(守)るあるじみし人の行えは
しるや宿のましみづ 女君
(雲居の雁)なき人のかげだにみらずつれなくて心をや
れるいさらいの水などの給ふほどに。おとゞう
ちよりまかで給けるを。紅葉のいろにおどろか
されてわたり給へり。むかしおはしまひし御
ありさまにおさ/\かはる事あんく。あたり/\
おとなしくすまい給へるさま。はなやかなる
を見給につけても。いともの哀におほさる中納
言もけしきことに。かほすこしあかみていとゞ
しづまりてものし給ふ。あらまほしくうつく
しげなる御あはひなれど。女はまだかゝるかたち
のたぐひもなどかなからんとみえ給へり。おとこは
22
きはもなくきよらにおはす。ふる人どもゝ。おま
へに所えてかみ(神)さびたることども聞えいづ(出)。
ありつる御手ならひ共のちりたるを御らんじ
つけて。うちしほたれ給ふ。この水の心たづねまほ
しけれどおきなはこといみじて(言忌して)との給。
(太政大臣)そのかみの老木はむべもくちぬらんうへしこ
まつもこけおひにけりおとこ君の宰相のめ
のと。つらかりし御心も忘れねばしたりがほに
(宰相乳母)いづれをもかけてぞたのむふたばよりねざ
しかはせる松のすえ/\゛おい(老)人どもかやうの
すぢに聞えあつめたるを。中納言はおかしと
おぼす。女君はあいなくおもてあかみてくるしと
きゝ給。神な月の廿日あまりの程に。六条院(源氏)
に行幸あり。紅葉のさかりにて。けうあるべき
たびのみゆきなるに。すさくいんにも御せうそ
こありて。院さへわたりおはしますべければ。よに
めづらしくありがたきことにて。世人も心をお
どろかす。あるじの院かたも御心をつくし。めも
あやなる御心まうけをさせせ給。みの時に
行幸ありて。まづむまば(馬場)とのに。左右のつか
さの御うまひきならべて。左右の近衛。たちそひ
たるさほう。5月のせちにあやめわかれず。か
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よひたり。ひつじ(未)くだるほどにみなみのしん
でんにうつりおはします。道のほどのそりはし
わたどのには。にしきをしき。あらはなるべき所
には。ぜん上(軟障:ぜんじょう)をひき。いつくしうしなさせ給へり。
ひんがしのいけに舟共う(浮)けて。みづし(御厨子)所のうか
ひ(鵜飼)のおさ。院のうかひをめしならべてうをおえおさ
せ給へり。ちいさきふな共くひたり。わざとの御
らんとはなけれど。すぎさせたまふみちのけう
ばかりになん。山のもみぢいづかたもおとらねど。
にしの御前は心ことなるを。中のらうのかべ
をくづし。中もんをひらきて。きりのへだて
なくて御らんせさせ給ふ。御さふたつよそひて
あるじの御ざはくだれるを。ぜんじありてなを
させ給ふ程めでたくみえたれど。みかどはるか
ぎりあるいや/\しさをつくして見せたて
まつり給はぬことをなんおぼしける。いけのい
をゝ。ひだりの少将とり。蔵人所のたからひの。き
た野にかりつかうまつれるとり。ひとつがひを
右のすけさゝげて。しんでんのひんがしより
御前にいでゝみはしのひたり道にひざをつきて
そうす。おほきおとゞおほせごと(仰せ言)給ひて。てう(調)じ
ておもの(御膳)にまいる。みこたちかんだちめなどの
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御まうけもめづらしきさまに。つねのことに
事かへてつかうまつらせ給へり。みな御えひに
なりて暮かゝるほどに。かくそ(楽所)のひとめす。わざ
との大がくにはあらず。なまめかしきほどに殿上
のわらはべまひつかうまつる。朱雀院の紅葉
の賀のれいのづる事おぼしいでらる。賀王恩と
いふものをそうする程に。おほきおとゞの御おと
こ(弟子)のす(十)ばかりなる。せち(切)におもしろうまふ。内の
みかど御ぞぬぎてたまふ。おほきおとゞおりて
ぶたうし給。あるじの院きくをおらせ給て。せ
いがいは(青海波)のおりをおぼしいづ
(源氏)色まさるまがきのきくもおり/\に袖うち
かけしあき(秋)をこふ(恋う)らし。おとゞその折はおなじ
まひにたちならびきこえ給しを。我も人には
すぐれ給へる身ながら。なをこのきはゝこよな
かりけるほどおぼししらる。時雨。おりしり(折知り)がほ也
(太政大臣)むらさきの空にまがへる菊のはなにごり
なきよのほしかとぞみるときこそありけれと
聞え給ふ。夕かぜのふきしくもみぢの色/\
うへみえまがふ。庭のおもにかたちおかしきわ
らはべのへんごとなきいへの子どもなどにて
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あをきあかきしらつるばみ(白橡)すわう(蘇芳)えびぞめ(葡萄染)
などつねのごと。れいのみづらにひたいばかりのけ
しきをみせて。みじかきものどもを。ほのかに
まひつゝ。もみぢのかげにかへりいるほど。目のく
るゝもいとおしげなり。がくしよ(楽所)などおどろ/\
しくはせず。うへの御あそひはしまりて。ふんの(書)
つかさ(司)の御こと(琴)ゞもめす。ものゝけう(興)せち(切)なるほ
どに。ごぜんにみな御ことどもまいれり。うたの
ほうしのかはらぬこえも。すさくいんはいとめづら
しくあはれにきこしめす
(朱雀院)秋をへて時雨ふりぬるさと人もかゝる紅葉
のおりをこそみねうらめしけにそおぼしたる
や みかど
(冷泉帝)よのつねのもみぢとやみるいにしへのためし
にひけるにはのにしきをときこえしらせ給ふ
御かたちいよ/\ねびとゝのほり給ひて。たゞ
ひとつものとぞみえさせ給ふを。中納言さふ
らひ給ふがこと/\ならぬこそめざましかめれ。
あてにめでたきけはひや思ひなしにおと
りまさらん。あざやかににほはしきところは
そひてさへみゆ。ふえつかうまつり給いとおもし
ろし。さうが(唱歌)の殿上人みはしにさふらふなかに。
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弁の少将のこえすぐれたり。なをさるべきに
こそと見えたる御なからひなめり