読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567607
1さはらひ
2
やぶ(藪)しわ(分)かねば春のひかりをみ給ふにつけても。
いかでかくながらへにける月日ならんと。ゆめのやう
にのみおぼえ給ふ。ゆきかふ時々にしたがひ
花鳥の色をも音おもおなじ心におきふし見
つゝ。はかなき事をも。もとすえをとりていひか
はし心ぼそきよのうさもつらさもうちかたらひ
あはせ聞えしにこそなぐさむかたも有しが。お
かしき事あはれなるふしをもきゝしるひとも
なきまゝに。よろづかきくらし心ひとつをくだ
きて。みやのおはしまさずなりにしかなしさ
よりも。やゝ打まさりてこひしくわびしきに。
3
いかにせんとあけくるゝもしらずまどはれ給へど。
よにとまるべき程はかぎりあるわざなりけれ
ば。しなれぬもあさまし。あざりのもとよりと
しあらたまりてはなにことかおはしますらん。
御いのりはたゆみなくつかうまつり侍り。今はひ
とゝころの御ことをなんねんじきこえさするな
ど聞えて。わらび(蕨)つく/\゛しおかしきこ(籠)にいれて。
これはわらはべ(童)の供養して侍。はつをなりと
て奉りてはいとあしくて。うた(歌)は。わざとが
ましくひきはなちてぞかいたる
(阿闍梨)君にとてあまたの春をつみしかばつねをわす
れぬはつわらびなり 御ぜんによみ申さしめた
まへ。とあり。大事とおもひまはしてよみいだし
つらんとおぼせば。うたの心ばへもいとあはれにて
なをさりにさしもおぼさぬなめりとみゆること
のはを。めでたくこのましげにかきつくし給へる。
人の御文よりはこよなくめとまりてなみだもこ
ぼるれば。かへりことかゝせ給ふ
(中宮)此春はたれにかみせんなき人のかたみにつ(摘)め
る峯のさわらび つかひにろくとらせさせ給ふ。い
とさかりに匂ひおほくおはすえう人のさま/\゛の御
もの思ひにすこしうちおもやせ給へる。いとあて
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になまめかしきけしきまさりて。むかしの人にも
おぼえ給へり。ならび給へりしおりはとり/\にて
さらにに給へりともみえざりしを。うち忘れて
はふとそれかとおぼゆるまでかよひ給へるを。中
納言どのゝから(骸)をだにとゞめてみたてまつるものな
らましかばとあさゆふにこひきこえ給ふめる
に。おなじくはみえ奉り給ふ御すくせならざ
りけんよと。見奉る人々はくちおしがる。かの御
あたりの人のかよひくるたよりに御ありさま
はたえずきゝかはし給ひけり。つきせず思ひ
ほれ給ひてあたらしき年ともいはず。いやめに
なんあり給へるときゝ給てもげにうちつけの
こゝろあさゝ(心浅さ)には物し給はざりけりといとゞ今ぞ
あはれもふかく思ひしるゝ。宮はおはします事
のいとところせく有がたければ京にわたし聞えん
とおぼしたちたり。ないえん(内宴)など物さはがしき
頃すぐして。中納言の君。心にあまる事をも又た
れにかはかたらはん。とおぼしわびて兵部卿の宮
の御かたにまいり給へり。しめやかなる夕暮なれば
宮うちながめてはしちかくぞおはしましける。
さうの御ことかきならしつゝ。れいの御心よせなる
むめのかをめでおはする。しづえ(下枝)をゝし(押し)おりて
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まいり給へる。匂ひのいとえん(艶)にめでたく。おり(折)お
かしうおぼして
(匂宮)みる人の心にかよふ花なれやいろにはいでずし
たににほへるとの給へば
(薫)みつ人にかごとよせける花のえを心してこそ
おるべかりけれ わづらはしくとたはふれかはし給へ
る。いとよき御あはひなり。こまやかなる御物語ど
もになりては。かの山里をぞまづはいかに
と宮は聞え給ふ。中納言もすぎにしかたのあ
かずかなしき事。そのかみよりけふまで思ひ
のたえぬよし。おり/\につけてあはれにもおか
しうも。な(泣)きみわらひみとkいふらんやうにき
こえいで給ふに。ましていろめかしくなみだ
もろなる御くせは人の御うへにてさへ袖もしほ
るばかりになりて。かひ/\しくぞあひしらひ
聞え給める。空のけしきもまだげにぞあはれ
しりがほにかすみわたれる。よるになりてはげ
しうふきいづる風のけしき。まだ冬めきてい
とさむげに。おほとなぶらもきえつゝ。やみは
あやなきたど/\しさなれど。かたみにきゝさ
し給ふべくもあらず。つきせぬ御物語をえはる
けやり給はで。よもいたうふけぬ。よにためしあ
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りがたかりけるなか(仲)のむつびを。いでさりともい
とさのみはあらざりけん。とのこりありけにと
ひなし給ふぞわりなき御心ならひなめりかし。
さりながらもものに心得てなげかしき心の
うちもあきらむばかり。かつはなぐさめまた哀
をもさましさま/\゛にかたらひ給。御さまのお
かしきにすかされ奉りて。けに心にあまるま
で思ひむすぼるゝ事もすこしつゝかたり聞え
給に。こよなくむねのひまあく心ちし給。宮もか
の人ちかくわたし聞えてんとするほどの事共
かたらひ聞え給を。いとうれしき事にも侍るか
な。あいなくみづからのあやまちとなん思ふ給へ
ける。あかぬむかしの名残を又たづぬべきかたも侍
らねば。おほかたにはなにごとにつけても心よせき
こゆべき人となん思ひ給ふるを。もしびんなくや
おぼしめさるべきとて。かのこと人となおもひわきそ
とゆづり給ひしこゝろおきてをも。すこしはかた
り聞え給へど。いはせんもりのよぶこどりめいた
りしよの事はのこしたりけり。心のうちにはかく
なぐさめがたきかたみにも。げにさてこそかやうに
もあつかひきこゆべかりけれど。くやしきことやう/\
まさりゆけど。今はかひなき物ゆへつねにかうのみ
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おもはゞ。あるまじき心もこそいでくれ。たがためも
あぢきなくおこがましからんと思ひはなる。さて
もおはしまさんにつけてもまことにおもひうし
ろみキモ絵んかたは又たれかはとおぼせば。御わたりの
事ども心まうけせさせ給ふ。かしこにもよきわが
人わらはなど。もとめて人々はこゝろゆきがほに
いそぎ思ひたれど。このふしみをあらしはてんもい
みじう心ぼそければなけがれ給ふことつきせぬを。
さりとても又せめて心こはくたえこもりても。た
けかるまじく浅ましく。浅からぬ仲の契り
もたえはてぬべき御すまひを。いかにおぼにみだる
ぞとのみ恨聞え給も。すこしはことはりなればk
かゞすべからむと思みだれ給へり。きさらぎのついた
ちごろとあれば。ほとちかくなるまゝに。花の木共
のけしきばむももこりゆかしくみねのかすみ
のたつをみすてん事も。をのがとこよにてだにあ
らぬ旅ね(寝)にて。いかにはしたなく人わらはれなるこ
ともこそなどよろづにつゝましく。心ひとつに
思ひあかしくらし給ふ。御ぶくもかぎりあること
なればぬぎすて給ふに。みそぎもあさき心ちぞ
する。おやひとゝころはみ奉らざりしかば。こひし
き事もおぼえす。その御かはりにもこのたびの衣
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をふかくそめんと心におぼしの給へど。さすがにs
るべきゆへもなきわざなればあかずかなしきことか
ぎりない。中納言(薫)殿より御車ごぜんの人々はか
せなど奉り給へり
(薫)はかなしやかすみの衣たちしまに花のひも
とくおりもきにけり げに色々いときよらにて
たてまつれ給へり。御わたりのほどのかつけ物ども
など。こと/\しからぬものから。しな/\゛におぼしや
りつゝいとおほかり。折につけては忘ぬさまなる御
心よせのありがたく。はらからなどもえいとかうま
ではおはせぬわざぞなど人々はきこえしらす。
あざやかならぬふる人どもの心には。かゝるかたをっ頃にし
めて聞ゆ。わかき人々は時々もみたてまつりな
らひて今はとことざまになり給はんを。さう/\゛し
くいかにこひしくおぼえさせ給はんと聞えあへり
みづからはわたり給はんこと。あすとてのまだつとめ
ておはしたり。れいのまらうどいのかたにおはする
につけても。今はやう/\物なれて我社人yほりさき
にかうやうにも思ひそめしかなとありしさま。の
給ひし心ばへを思ひ出つゝ。さすがにかけはなれこと
のほかになどははしたなめ給はざりしを。我心も
てあやしうもへだゝりにしかなと。むねいたく思
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つゞけ給はいまみせしさうじのあなも思ひいで
らるれば。よりてみたまへど。このなかをばおろしこ
めたればいとかひなし。うちにも人々思いいでき
こえつゝうちひそみあへり。なかの宮はましてもよほ
さるゝ御なみだのかはに。あすのわたりもおぼえ
給はずほれ/\しげにてながめふし給へるに。月
ごろのつもりもそこはかとなけれど。いぶせく思ひ
給へらるゝをかたはしもあきらめ聞えさせてな
ぐさめ侍らばや。れいのはしたなくなさしはな
たせ給ふそ。いとゞあらぬよの心ちし侍りときこえ
給へれば。はしたなしとおもはれ奉らんとしも
思はねど。いさや心ちもれいのやうにもおぼえずか
きみだりつゝ。いとゞはか/\゛しからぬひがこともや
とつゝましうてなどくるしげにおぼしいたれど。
いとおしなどこれかれ聞えて中のさうじのく
ちにてたいめんし給へり。いとはづかしげになまめ
きて又このたびはねびまさり給ひにけりとめも
おどろくまて匂ひおほく。人にもにぬよういな
どあなめでたの人やとのみみえ給へるを。ひめ宮
はおもかげさらぬ人の御ことをさへ思ひいでき
こえ給に。いとあはれとみたてまつり給。つきせ
ぬ御物語などもけふはこといみすべくやなどい
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ひさしつゝ。わたらせ給べき所ちかくこの頃すぐ
してうつろひ侍べければ。よなかあかつきとつぎ/\
しき人のいひ侍るめる。なにごとのおりにもう
とからずおぼしの給はせば。よに侍らんかぎりは
聞えさせうけ給はりてすぐさまほしうなん
侍るを。いかゞはおぼしめすらん。人の心さま/\゛に
侍る夜なれば。あいなくやなどひとかた(一方)にもえこ
そ思ひ侍らねと聞え給へば。やど(宿)をばかれじと
思ふ心ふかく侍るをちかくなどの給はするにつけ
ても。よろづにみだれ侍りてきこえさせやるべ
きかたもなくなど。所々いひけちていみじく物
あはれと思ひ給へるけはひなど。いとようおぼえ
給へるを。心からよそのものにみなしつるとお
もふにいとくやしく思ひい給へれど。かひなけ
ればそのよの事かけてもいはず忘れにけるに
やとみゆるまでけざやかにもてなし給へり。御
前ちかきこうばいの色も香もなつかしきに。うぐ
ひすだにすぐしがたげに打なきてわたるめれ
ば。まして春やむかしのと心まどはし給ふど
ちの御物かたりに折あはれなりかし。風のさと
吹いるゝに花のかもまらうどの御匂ひも。橘な
らねどむかし思出らるゝつまなり。つれ/\゛の
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まぎらはしにも。世のうきなぐさめにもこゝろとゞ
めてもてあそび給ひし物をなど心にあまり
給へば
(中宮)みる人もあらしにまよふ山里にむかしおぼゆる
花のかぞする いふ共なくほのかにて。たえ/\聞え
たるをなつかしげにうちずんじなして
(薫)袖ふれし梅はかはらぬにほひにてね(根)ごめう
つろふ宿やことなる たえぬなみだを。さまよう(様良く)のご
ひかくして。ことおほくもあらず。またもかうやうにて
なんなにごとも聞えさせよるべきなど聞えをき
てたち給ぬ。わたりにあるべき事ども人々に
の給ひをく。このやどもりにかのひけがちの殿い
人などはさふらふべければ。此わたりのちかき大さう
ども。その事どもの給あつげなどまめやかあんる
事どもをさへさだめをきたまふ。弁ぞかやうの御
ともにも思ひかけず。ながきいのちいとつらくおぼ
え侍るを。人もゆゝしくみ思べければ。今は世にある
物とも人にしられじとかたちもかへてげるを。しいて
めしいでゝいとあはれとみ給ふ。れいのむかしがたり
などをさせ給て。こゝにはなをとき/\゛まいりくべ
きを。いとたつぎなく心ぼそかるべきを。かくて物し
給はんはいとあはれにうれしかるべきことになんな
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ど。えもいひやらずなき給ふ。いとふにはえてのび
侍る命のつらく。またいかにせよとて打すてさせ
給ひけんとうらめしく。なべての世を思ひ給へしづ
むに。つみもいかにふかく侍らんとおもひけることゞも
をうれへかけきこゆるもかたくなしけれど。いとよく
いひなぐさめ給ふ。いたくねびにたれど昔きよげ
なりける名残をそぎすてたれば。ひたいの程さま
かはれるにすこしわかくなりて。さるかたにみやび
かなり。おもひわびてはなどかゝるさまにもなした
てまつらざりけん。それにのぶるやうもやあらま
し。さてもいかに心ふかくかたらひ聞えてあらまし
など。ひとかたならずおぼえ給に。この人さへうらやま
しければ。かくろへたる几帳をすこしひきやりて。こ
まやかにぞかたらひ給ふ。げにむげに思ひほけた
るさまながら。ものうちいひたるけしきようい。く
ちおしからず。ゆへありける人のなごりとみえたり
(弁)さきにたつなみだの川に身をなげば人にを
くれぬいのちならましとうちひそみ聞ゆ。それもい
とつみふかくなることにこそ。かのきしにいたる事
などかさしも有まじき事にて。ふかきそこにし
づみすくさんもあひなし。すべてなべてむなしく
思ひとるべきよになんなどの給ふ
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(薫)身をなげん涙の川にしづみてもこひしきせゞ
は忘れしもせじ いかならん世にすこしも思ひな
ぐさむることありなんと。はてもなきこゝりした
まふ。かへらんかたもなくながめられて日もくれにけれ
ど。すゞろにたびねせんも人のとがむる事やとあ
いなければかへり給ひぬ。おもほしのたまへるさま
をかたりて。辨はいとなぐさめがたくくれまどひ
たり。みな人は心ゆきたるけしきにて物ぬい(縫)いと
なみつゝおひゆがめるかたちもしらずつくろひ
さまよふに。いよ/\やつして
(弁)人はみないそぎたつめる袖のうらにひとりも
しほをたるゝあまかなとうれへ聞ゆれど
(中宮)塩たるゝあまのころもにことなれやうきたる
波にぬるゝわが袖よにすみつかん事もいとあり
がたかるべきわざとおぼゆれば。さまにしたがひてこゝ
をばあれはてじとなん思ふを。さらばたいめん
もありぬべけれど。しばしの程も心ぼそくて立と
まり給を見をくに。いとゞ心もゆかずなん。かゝるか
たちなる人もかならずひたふるにしもたへこもら
ぬわざなめるを。なえおよのつねに思ひなして時々
もみえ給へなど。いとなつかしくかたらひ給ふ。む
かしの人のもてつかひ給しさるべき御でうど(調度)ゝ
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もなどは。みなこの人にとめをきたまふて。かく人
よりふかく思ひしづみ給へるをみれば。さきのよ
もとりわきたる契りや。ものし給けんとおもふ
さへむつましく哀になんとの給ふに。いよ/\わ
らはべのこひてなくやうにこゝろおさめんかたなく
おぼゝれいたり。皆かきはらひよろつとりしたゝ
めて。御車どもよせて御ぜんの人々四位五位いと
おほかり。御みづからもいみじうおはしまさまほ
しけれど。こと/\しくなりてなか/\あしかる
べければ。たゞ忍びたるさまにもてなして心もと
なくおぼさる。中納言殿よりも午前のひとかずお
ほくたてまつれ給へり。おほかたのことをこそ宮よ
りはおぼしをきつめれ。こまやかなる御あつかひは
たゞこの殿よりおもひよらぬ事なくとふらひき
こえ給ふ。日くれぬべしとうちにもとにももよほ
し聞ゆるに。心あはたゝしういつちならんと。いと
はななくかなしとのみおもほえ給ふに。御車にのる
たい(大輔)のきみといふ人のいふ
(大輔)有ふればうれしきせにもあひけるをみをう
ちがはになげてましかば うちえみたるを辨のあ
まの心ばへにこよなうもあるかなと心づきなふ見
給ふ。今ひとり
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(女房)すぎにしがこひしきこともわすれねどけふは
たまづもゆく心かな いづれもとしへたる人々にて
みなかの御方をばこゝろよせきこえためりしを。い
まはかく思ひあらためて。こといみするも心うの世
やとおぼえ給へばものもいはれ給はず。みちのほど
のはるけく。はげしき山道のありさまをみ給ふ
にぞ。つらきによのみおもひなされし人の御なかの
かよひを。ことはりのたえまなりけりとすこし
おぼししられける。七日の月のさやかにさし出たる
かげおかしく。かすみたるを見給ひつゝいととをき
にならはずくるしければ。うちながめられて
(中君)ながむれば
山よりいでゝゆく月も世にすみわび
て山にこそいれさまかはりてうちにいかならんとのみ
あやうく行すえうしろめたきに。年頃なに事
をか思ひけんとぞとりかへさまほしきや。よひう
ちすぎてぞおはしつきたる。みもしらぬさまに
めもかゝやく心ちする殿づくりのみつばよつばな
るなかにひきいれて。宮いつしかとまちおはしま
しければ。御車のもとにみづからよらせ給て。おろ
し奉り給ふ。御しつらひなどあるべきかぎりし
て。女房のつぼね/\まで御心とゞめさせ給けるほ
どしるくみえていとあらまほしげなり。いかば
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かりのことにかとみえ給つる御ありさまの。にはか
にかくさだまり給へば。おぼろけならずおぼさるゝ
事なめりとよひともこゝろにくゝ思ひおどろきけ
り。中納言は三条の宮にこの廿よ日のほどにわたり
給はんとて。このほどは日々におはしつゝみ給ふに。
このいんちかきほどなればけはひもきかんと
て夜ふくるまでおはしけるに。奉れ給へる御ぜん
の人々かへりまいりて。ありさまなどかたり聞ゆ。
いみじう御心にいりてもてなし給なるをきゝ給ふ
にも。かつはうれしき者から。さすがにわが心なからお
こかましくむねうちつふれて者にもかなやと返/\
ひとり(独り)ごたれて
(薫)しなてるやにほ(鳰)の水海(湖)にこぐ舟のまほならね
どもあひみし物をとぞいひくださまほしき。君
のおほいとのは六の君を宮に奉り給はん事此
月にとおぼしさだめたりけるに。かく思ひの外の
人を此程よりさきにとおぼしがほにかしづきすえ
給ひてはなれおはすれば。いと物しげにおぼしたり
ときゝ給ふもいとおしければ。御文は時々奉り給ふ。
御裳ぎのこと世にひゞきていそぎ給へるを。のべ給はん
も人わらへなるべければ。はつかあまりにきせ奉りた
まふ。おなじゆかりにめづらしげなくとも。この中
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納言をよそ人にゆづらんが口おしきに。さもやなし
てましと年頃人しれぬ物に思ひけん人をもな
くなして。物心ぼそくながめい給ふなるをなどおぼ
しよりて。さるべき人してけしきとらせ給ひけれ
ど。よのはかなさをめにをくみしにいと心うく身も
ゆゝしくおぼゆれば。いかにも/\さやうの有さまは
物うくなんとおすさまじげなるよし聞給て。いか
でかこの君さへおほな/\こといづることを物うくは
もてなすべきぞと恨給けれど。したしき御なからひ
ながらも人さまのいと心はづかしげに物し給へば
しいても聞えうごかし給はざりけり。花ざかりの
程二条院の桜をみやり給ふに。ぬしなき宿のま
づ思ひやられ給へば。心やすくなどひとりごちあ
まりて宮の御もとにまいり給へり。こゝがちにお
はしましつけていとようすみなれ給にたれば
めやすのわざやとみたてまつる物から。れいのいかに
ぞやおぼゆる心のそひたるぞあやしきや。されど
しぢ(実)の心ばへはいとあはれにうしろやすくぞ思ひ
聞え給ひける。なにぐれと御ものがたり聞えか
はし給ふて。ゆふつかた宮はうちへ参り給はんと
て。御車のさうぞくして人bとおほくまいりあ
つまりなどすれば。たちいで給てたいの御かたへ
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こり給へり。山ざとのけはひひきかへて。みすの
うち心にくゝすみなして。おかしげなるわらはの
すきかげほのみゆるして。御せうそこ聞え給へ
れば。御しとねさしいでゝむかしのこゝろしれる
人なるべし。いできて御かへり聞ゆ。あさゆふのへだ
てもあるまじう思ひ給へらるゝほどながら。その
事となくてきこえさせんもなか/\なれ/\しき
とがめやとつゝみ侍ほどに。世の中かはりにたる
心ちのみそし侍るや。御まへの木ずえもかすみ(霞)へ
だてゝみえ侍にあはれなることおほくも侍るかな
と聞えてうちながめて物し給ふけしき心ぐ
るしげなるを。げにおはせましかばおぼつかな
からずゆきかへり。かたみに花のいろとりのこえを
もおりにつけつゝすこし心ゆきてすぐしつべ
かりける世をなどおぼしいづるにつけては。ひたふる
にたえこもり給へりしすまひの心ぼそさより
も。あかずかなしうくちおしきことぞいとゞまさ
りける。人々もよのつねにうと/\しくなもて
なしきこえ給そ。かぎりなき御心のほどをばい
ましもこそみたてまつりしらせ給さまをも見
え奉らせ給ふべけれなど聞ゆれど。人づてならずふ
とさしいで聞えんとの猶つゝましきを。やす
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らひ給ふ程に。宮いで給はんとて御まかり申しに
わたり給へり。いときよらにひきつくろひけさう
じ給ひて。みるかひある御さまなり。中納言はこ
なたになりけりと見給て。などかむげにさしは
なちてはいだしすえ給へる。御あたりにはあま
りあやしと思ふまでうしろやすからし心よせ
を。わがためはおこがましきこともやとおぼゆれど。
ちかやかにてむかし物がたりもうちかたらひ給へ
かしなど聞え給ものから。さはありともあまり
心ゆるひせんも又いかにぞや。うたがはしきしたの
心にぞあるやとうちかへしの給へば。ひとかたならず
わづらはしけれどわが御こゝろにもあはれふかくお
もひしられにし人の御心を。いましもおろかなるべ
きならねば。かの人もおもひの給ふべるやうにいに
しへの御かはりとなずらへ聞えて。かう思ひしり
けりとみえたてまつるふしもあらばやとはおぼせ
ど。さすがにとやかくやとかた/\゛にやすからず聞え
なし給へばくるしうおぼされけり