読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567588/1/1
1
蘭
2
内侍のかみの御宮づかへの事をたれも/\そゝの
がし給もいかならん。おやと思ひ聞ゆる人の御心
だにうちとくまじき世なりければ。ましてさ
やうのまじらひにつけて。心よりほかにびんな
き事もあらば。中宮も女御もかた/\゛につけて
心をき給はゞはしたなからんに。わが身はかくは
かなきさまにて。いづ方にもふかく思ひとゞめら
れ奉るほどもなく。あさきおぼえにて。たゞなら
ず思ひいひ。いかで人わらへなるさまに見きゝな
さんと。うけひ給ふ人々もおほく。とかくにつけて
やすからぬことのみありぬべきを。ものおぼししる
3
まじきにしあらねば。さま/\゛におもほしみだ
れ。人しれず物なげかし。さりとてかゝる有さま
もあしき事はなけれど。このおとゞの御心ばへの
むるかしう心づきなきも。いかなるついでにかはも
てはなれて。人のをしはかるべかめるすぢを心きよ
くもありはつべき。まことのちゝおとゞもこのとのゝ
おぼさん所をはゞかり給て。うけばりてとりはな
ち。けさやき給へきことにもあらねば。猶とてもかく
てもみぐるしうかれ/\しき有さまにて心を
なやまし。人にもてさはがるへき身なめりと。中々
このおやたづねきこえ給ひてのちはことにはゞ
かり給けしきもなきおとゞの君の御もてなし
を。とりくはへつゝ人しれずなんなげかしかりけ
る。思ふことをまほならずともかたはしにても。う
ちかすめつべき女おやもおはせず。いづかたも/\は
づかしげにいとうるはしき御さま共には。何事を
かはさなんかくなんとも聞えわき給はん。よの人に
にぬ身の有さまをうちながめつゝ。夕暮れの空あは
れげなるけしきを。はし近くて見いだし給へる
さまいとおかし。うすきにび色の御ぞなつかしき
ほとにやつれて。れいにかはりたるいろあひにし
も。かたちはいとはなやかにもてはやされておは
4するを。おまへなる人々はうちえみ奉るに。
宰相の中将おなじいろの。いますこしこまやかな
るなをしすがたにて。えいまき給へるしも。又いと
なまあめかしうきよらにておはしたり。はじめ
より物まめやかに心よせきこえ給へば。もてはな
れてうと/\しきさまにはもてなしたまはざり
しならひに。いまあらざりけりとて。こよなくか
はらんもうたてあれば。なをみすに木丁そへたる
御たいめんはひとつてならでありけり。とのゝ御せう
そこにて。うちよりおほせごとあるさま。やがてこ
のきみうけたまはり給へるなりけり。大かへりお
ほとかなる物から。いとやすく聞えなし給けは
ひのらう/\しくなつかしきにつけても。かの野分
のあしたの御あさがほは。心にかゝりてこひしきを
うたて有すぢにおもひし。きゝあきらめてのち
にはなをもあらぬ心ちそひてこの宮づかへをおほか
たにしもおぼしはなたじかし。さばかりみどころ
ある御あはひどもにておかしきさまなることの
わづらはしき。かならずいできなんかしと思ふに。たゞ
ならずむねふたがる心ちすれど。つれなくすくよ
かにて。人にきかすまじと侍つる事を。きこえさ
せんにいかゞ侍るべきとけしきだては。ちかくさふ
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らふ人もすこししりぞきつゝ。御几帳のうしろ
などにそばみあへり。そらぜうそこ(消息)をつき/\しう
とりつゞけてこまやかに聞え給ふ。うへの御けし
きのたゞならぬすぢを。さる御心し給へるとやう
のすぢなり。いらへ給はん事もなく。たゞうちなけ
き給へる程忍びやかにうつくしういとなつかしき
に。猶えしのぶまじく御ぶくもこの月にはぬか
せ給ふべきを。日ついでなんよ(吉)ろしからざりける。十三
日にはかはら(河原)へいでさせ給べきよしの給はせつ。なに
がしも御供にさふらふべくなん思ひ給ふるとき
こえ給へば。たぐひ給はんもこと/\しきやうにや
侍らん忍びやかにてこそよくはべらめとの給。此
御ぶくなどのくはしきさまを。人にあまねくし
らせしとおもむけ給へるけしきいとらうあり。中
将もらさじとつゝませ給らんこそ心うけれしのび
がたく思給へらるゝかたみなれば。ぬぎすて侍らんこと
もいと物うく侍る物を。さてもあやしうもてはなれ
ぬことの又心得がたきにこそ侍れ。この御あらはしご
ろもの色なくは。えこそ思給へわくまじけれとのた
まへば。なに事も思ひわかぬ心にはましてともか
くも思ふ給へたどられはべらねど。かゝるいろこそあ
やしく物哀なるわさに侍けれとてれいよりも
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しめりたる御けしきいとらうたげにおかし。かゝる
ついでにとや思ひよりけん。らに(蘭)の花のいとおもし
ろさをも給へりけるを。みすのつまよりさしいれ
て。これも御らんずべきゆへは有けりとて。とみにもゆ
るさでも給へればうつたへに思ひもよらでとりた
まふ。御袖を引うごかしたり
(夕霧)おなじ野の露にやつるゝ藤ばかまあはれは
かけよかごとばかりもみちのはてなるとかやいと心
づきなくうたてなりぬれど。見しらぬさまにやを
らひきいりて
(玉鬘)たづぬるにはるけきのべのつゆならばうす紫
やかごとならましかやうにて聞ゆるよりふかきゆ
へはいかゞとの給へばすこしうちわらひてあさき
もふかきもおぼしわくかたは侍なんとおもひ給ふ
る。まめやかにはいとかたじけなきすぢを思ひしり
ながら。えしつめ侍らぬ心のうちをいかでかしろし
めさるべき。なか/\おぼしうとまんがわびしさに
いみじくこめ侍るを。今はたおなじと思ひ給へ
わびてなん。頭中将のけしきは御覧じしりき
や。人のうへになど思ひ侍りけん身にてこそいと
おこがましう。かつは思ふ給へしられけれ。なか/\
かのきみは思ひさまして。ついに御あたりはなる
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まじき憑(たの)み思ひなぐさめたるけしきなど見
はべるもいとうらやましくねたきに。あはれとだに
おぼしをけよなど。きこえしらせ給ふ事おほ
かれどかたはらいたければかゝぬなり。かんの君
やう/\ひきいりつゝ。むつかしとおぼしたれば。心
うき御けしきかな。あやまちすまじきこゝろの
ほどはをのづから御らんじしるやいも侍らん物をと
て。かゝるついてにいますこしももらさまほしけれ
ど。あやしくなやましくなんとていりはて給
ぬれば。いといたくうちなげきてたち給ぬ。なか/\
にもうちいでゝげるかなとくちおしきにつけても。
かの今すこし身にしみておぼえし御けはひを。
かばかりのものごにしても御こえをだにいかならん
ついでにかきかんとやすからず思ひつゝおまへにま
いり給へれば。出給ひて御返事など聞え給ふ。この宮づ
かへをしぶげにこそ思ひ給へれ。宮などのれんじ給
へる人にて。いと心ふかきあはれをつくしいひな
やまし給に。心やしみ給らんと思ふになん心ぐる
いとめでたくおはしけりと思ひ給へりき。わかき人
はほのかにもみたてまつりて。えしもみやづかへのす
ぢもてはなれじ。さ思ひてなんこのこともかくもの
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せしなどの給へば。さても人ざまはいづかたにつけて
かは。たぐひて物し給らん。中宮かくならびなきす
ちにておはしまし。又こきでんやんごとなくおぼえ「
ことにて物し給へば。いみじき御思ひ有ともたちな
らび給ふ事かたくこそ侍らめ。宮はいとねんごろに
おぼしたなるを。わざとさるすぢの御宮づかへにも
あらぬ物から。ひきたがへたらんさまに御心をきたま
はんもさる御なからひにてはいとおしくなんきゝ
給ふるとおとな/\しく申給ふ。かたしやわが心
ひとつなるひとのうへにもあらぬを。大将さへわれを
こそうらぬなれ。すべてかゝることの心ぐるしさを見
すぐさて。あやなき人のうらみおふかへりてはかる/\゛
しきわざなりけり。かのはゝ君のあはれにい
ひをきし事のわすれざりしかば。心ぼそき山
里になんときゝしを。かのおとゞはたきゝいれ給
へぐもあらずとうれへしにいとおしくてかくわた
しそめたるなり。こゝにかく物めかすとてかのお
とゞも人めかい給なめりとつき/\゛しくの給ひ
なす。人がらは宮の御人にていとよかるべし。いまめか
しういとなまめきたるさまして。さすがにかし
こくあうあまちすまじくなどして。あはひは
めやすからん。さてまた宮づかへにもいとよくた(足)らひ
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たらんかし。かたきよくらう/\しき物の。おほやけ
ごとなどにもおぼめかしからず。はか/\゛しくて
うへのつねにねがはせ給ふ御心にはたがふまじなど
の給ふ。けしきの見まほしければとしごろかく
はぐゝみ聞え給ける。御心ざしをひがさまにこそ人
は申なれ。かのおとゞもさやうになんおもむけて大
将のあなたざまのたよりにけしきばみたりけ
るにも。いらへ給ふけると聞え給へば。うちわらひて
かた/\゛いとにげなき事かな。なを宮づかへをも何
ごとをも御心ゆるしてかくなどおぼされんさまに
ぞしたがふべき。女は三(みつ)にしたがふ物にこそあなれ
とついでをたがへてをのが心にまかせん事はあるまじき
事なりとの給ふ。うち/\にもやんごとなきこ
れかれとしごろをへてものし給へば。えそのすすぢの
人かずにはものし給はですてがてらにかくゆづり
るけ。おほぞうの宮づかへのすぢにらうろうせんと
おぼしをきつる。いとかしこくかどあること也となん
よろこび申されけるとたしかに人のかたり申侍
しなりと。いとうるはしきさまにかたり申給へば。
げにさ思ひ給らんかしとおぼすに。いとおしくてい
とまが/\しきすぢにも思より給ひけるかな。
いたりふかき御心ならひならむかし。いまをのづ
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からいづかたにつけてもあらはなる事ありなん。お
もひくまなしやとわらひ給ふ御けしきはけざ
やかなれど。なをうたがひはおほ(置)かる。おとゞもさりや
かく人のをしはかる。あむ(案)におつる事もあらまし
かばいとくちおしくねぢけたらまし。かのおとゞ
にいかでかく心きよきさまをしらせ奉らんとおぼ
すにぞ。げに宮づかへのすぢにてけざやかなるま
じくまぎれたるおぼえを。かしこく思ひより
給けるかなとむくつけうおぼさる。かくて御ぶく
などぬぎ給て月たゝば猶参り給はん事いみ
有べし。十月(かんなづき)ばかりにておぼしの給ふを。うち
にも心もとなくきこしめし聞え給。人々は誰も/\
いとくちおしくて。この御まいりのさきにと心よ
せのよすが/\にせめわび給へど。吉野のたきをせ
か(堰)んよりもかたきことなればいとわりなしと各
いらふ。中将も中々なる事をうちいでゝいかにお
ぼすらんとくるしきまゝに。かけりありきていと
ねんごろにおほかたの御うしろみを思ひあつか
ひたるさまにて。ついせかしありき給ふ。たはや
すく。かるらかにうちいでゝは聞えかゝり給はず。め
やすくもてしづめ給へり。まことの御はらからの君
だちは。えよりこず。宮づかへのほどの御うしろみを
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とをの/\心もとなくぞ思ひける。頭中将心をつ
くしわびし事はかきたえにたるを。うちつけなる
御心かなと人々はおかしがるに。殿の御つかひにて
おはしたり。なをもていでず忍びやかに御せうそ
こなども聞えかはし給ければ。月のあかき夜かつら
のかげにかくれてものし給へり。見きゝいるべくも
あらざりしを。名残なくみなみのみすのまへにす
へ奉る。身づからきこえ給はん事はしも猶つゝ
ましければ。宰相の君していらへ聞え給。なにが
しをえらひて奉り給へるは人つでならぬ御せう
そこにこそ侍らめ。かく物どをくてはいかゞきこえさ
すべからん。身づからこそ数にも侍らねど。絶ぬたとひ
もはべるなるは。いかにぞやこだいのことなれどたの
もしくぞ思ひ給へけるとて物しと思給へり。げに
としふごろのつもりもとりそへて聞えまほしけ
れと。日頃なやましく侍ればおきあがりなど
もえし侍らでなん。かくまてとがめ給ふも中々
うと/\(疎々)しき心ちなんし侍けるといとまめだち
て聞えいだし給へり。なやましくおぼさるらん
御几帳のもとをばゆるさせ給まじくや。よし/\。
げに聞えさするも心ちなかりけりとて。おとゞの
御せうそこども忍びやかに聞え給。よういなど人
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にはをこり給はずいとめやすし。参り給はんほ
どのあない。くはしきさまもえきゝぬを。うち/\に
のたまはんなんよからん。なに事も人めにはゞかり
てえまいりこず。聞えぬ事をなんなか/\いぶせ
くおぼしたるなどかたり聞え給ついでに。いで
やおこがましきことゞもえぞきこえさせぬや。いづ
かたにつけてもあはれをば御らんじすぐべく
やは有けるといよ/\うらめしさもそひはべる哉。ま
づはこよひなどの御もてなしよ。北おもてたつか
たにめしいれて。君だちこそめざましくもおほ
さめしもつかへなとやうの人々とたにうちかた
らはゝや。またかゝるやうはあらじかしさま/\゛に
めつらしきよなりかしと。うちかたふきつゝうらみ
つゞけたるもをかしければ。かくなんときこゆ。げに
人ぎゝをうちつけなるやうにやとはゞかり侍る
程に。としごろのむもれいたさをもあきらめ侍らぬ
はいとなか/\なる事おほくなんと。すくよかに
きこえなし給ふに。まばゆくてよろづをし
こめたり
(柏木)いもせ山ふかきみちをばたづねずてをだえ(緒絶)
のはし(橋)にふみまどひけるよとうらむるも人やり
ならず
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(玉)まどひけるみちをはしらでいもせやまたど/\
しくぞたれもふみゝし。いづかたのゆへとなんえお
ぼしわかざめりし。なにごともわりなきまでお
ほかたの世をはゞからせ給ふめれば。えきこえさせ
給はぬになん。をのづからかくのみもはべらしとき
こゆるもさる事なれば。よしながいし侍らん
もすさまじきほどなり。やう/\らうつもりて
こそはかくごん(かごと)をもとてたち給ふ。月くまなくさし
あがりて空の気色もえんなるに。いとあてやか
にきよげなるかたちして御なをしのすがた花
たかにていとおかし。宰相の中将のけはひあり
さまにはえならび給はねど。これもおかしかめるはい
かでかゝる御なからひなりけんとわかき人々はれ
いのさるまじき事をもとりたてゝめであへり。
大将この中将はおなじ右のすけ(次将)なれば。つねに
よびとりつゝねんごろにかたらひおとゞにもまうさ
せ給ひけり。人がらもいとかく。おほやけの御うしろみ
となるべかめるしたかやなるを。などかはあらんと
おぼしながら。かのおとゞの。かくし給へることをいかゞ
は聞えかへすべからん。さるやうある事にこそと心
得給へるすぢさへあれば。まかせ聞え給へり。この
大将は晴海やの女御の御はらからにておはしける
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おとゞたちををきたてまつりてさしつきの御
おぼえいとやんごとなききみなり。年三十二三の
ほどにものし給ふ。北の方はむらさきのうへの御あね
ぞかし。式部卿宮の御おほいぎみよ。としのほどみつ
よつがこのかみは。ことなるかたはにもあらぬを。人が
らやいかゞおはしけん。をうな(嫗)とつけて。心にもいれ
ずいかでそむきなんと思へり。そのすぢにより
六条のおとゞは大将の御ことはにげなくいとおしか
らんとおぼしたるなめりけり。色めかしく打
みだれたる所なき様ながら。いみじくぞ心をつく
しありき給ひける。かのおとゞももてはなれて
もおぼしたらざなり。女は宮づかへをものうげにお
ぼいた也と。うち/\のけしきもさつくはしき。た
よりしあれば。もりきゝてたゞおほとのゝ御おも
むけのことなるにこしゃあなれ。まことのおやの御
心だにたがはずはと。この弁のおもとにもせめ給ふ。
九月(ながつき)にもなりぬ。はつしもむすぼゝれえんなる
あしたに。例のとり/\゛なる御うしろみ共の。引そ
ばみつゝもてまいる。御文どもをみ給事もなくて。
よみきこゆるばかりをきゝ給。大将どののには。なをた
のみこしも。すぎゆくそらのけしきこそ心づくし
に
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(髭黒)かずならばいとひもせまじなが月に命をかく
るほどぞはかなき月たゝばとあるさだめを。いとよ
くきゝ給ふなめり。兵部卿の宮はいふかひなきよ
はきこえむかたなきを
(兵部)あさ日さすひかりをみても玉ざゝの葉分(わけ)のし
もをけ(消)たずもあらなんおぼしだにしらばなぐさ
むかたも有ぬべくなんとて。いとおかしげなる下を
れの霜もおとさずもてまいれる。御つかひさへぞ。う
ちあひたるや式部卿宮の(左)兵衛督は殿のうへの
御はらからぞかし。したしくまいりなどし給
君なればをのづからいとよく物のあないも聞て
いみじくぞ思ひわびけるいとおほくうらみつゞけて
(左兵部)わすれなんと思ふも物のかなしきをいかさ
まにしていかさまにせんかみのいとすみつき。しめ
たる匂ひもさま/\゛なるを人々もみなおぼした
えぬべかめるこそさう/\゛しけれなどいふ。宮の御返
りをぞいかゞおぼすらんたゞいさゝかにて
(玉)心もてひかりにむかふあふひだにあさをく霜
ををのれやはけつとおのかなるをいとめづらしと
見給ふに。身づからはあはれをしりぬべき御けし
きにかけ給へれば。露ばかりなれどいとうれしかり
けり。かやうになにとなけれどさま/\゛なる人々
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の御わびこともおほかり。女の御こゝろばへはこの君を
なん。ほん(本)にすべきとおとゞたちさだめきこえた
まひけりとや